ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落307 [2015-04-23]


307 I am assuming that by now you have seen the fallacy of tolerating thoughts of fear, worry, anger, anxiety, etc., and are viewing all things calmly; knowing that through this new balance in your life, you are truly about the Father's business. Therefore, your daily chores will no longer be a drudgery, and you can perform them with a composed, receptive mind. If you watch your mind carefully, you will find many of the real universal thoughts come while you are contentedly, physically occupied. This is what Jesus meant when He said, "Be ye therefore ready also; for the Son of man cometh at an hour when ye think not." Luke 12:40. He did not refer to His appearance in the physical body, but to a communion between the mind and universal knowledge.
307 私は今や貴方は恐れや心配、怒りや不安等の想念を許容することが誤った考えであることが分かり、あらゆるものを静かに眺め、貴方の生活のこの新しい調和を通じて真に父の御わざに従事していることを知っていると確信しています。ですから、貴方の日常の雑事はもはやつまらぬ仕事ではなくなるでしょうし、貴方はそれらを落ち着いた受容的な心で行うことが出来ます。もし、貴方が貴方の心を注意深く観察するなら、貴方は数多くの真に宇宙的な想念は貴方が満ち足り、肉体的にも手一杯の間にも貴方の所にやって来ることに気付くことでしょう。これがイエスが「あなた方も用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」(ルカ伝12章40節)と言った時、イエスが意味したものです。イエスは肉体としてのご自身の出現のことを述べたのではなく、心と宇宙普遍の知識との間の交わりについて述べていたのです。



【解説】
ここで本文中の"tolerating"(許容する)という表現について考える必要があります。
本文では自らの心の中に、「恐れや心配、怒りや不安」が入り込むことを許さないという意味で用いられています。即ち、私達は日常様々なストレスを受けるものですが、その結果、心はそのような想念を受入がちになります。しかし、私達はそのような種類の想念を一切、受け入れてはいけないと著者は強調しているのです。それがここで「"tolerating"(許容する)」を用いた意味なのです。
また、宇宙からの想念・印象を待つ対応として、単に座して沈想しているよりは、日常の仕事に手一杯になりながらの方が、可能性が高いことについても説かれています。私達がリラックスした心境を保ちながら、各自の仕事に精を出して過ごしている中にも、宇宙的な印象がもたらされ、アイデアは多く生まれるということです。
以前にも述べられていたように、宇宙は絶えず活発に活動しており、その波動に合わせることで、私達自身が宇宙に共鳴しやすい体質になるものと解釈できます。


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