ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落302 [2015-04-16]


302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.
302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。



【解説】
啓示とされる多くのものは、具体的な音声、或いは映像として感受者に受信されることも事実のようです。この場合、中には本人の意識が離れた場所に転移して、その状況を認知する事例も含まれているのかも知れません。しかし、いずれにせよ、想念・印象は感知される側において具体的な音声や映像に表現される場合も有り得るという訳です。
丁度、著者が何度となく説いているように、テレビ番組の放送電波のようなもので、電波信号の中には、本来、映像や音声として再現出来る仕組みが組み込まれているということでしょう。これら再現能力はあらゆる動植物にも同様に備わっていることでしょう。
一方、大抵の場合、印象は具体的な表現が為される間もなく、瞬間的に次々にやって来るものであると考えられます。実はその一つ一つに対して、改めて着目(執着)していると次にやって来るもの(印象)を受けることが出来なくなります。一説に毎秒何百、何千もの印象を感知する進化した他惑星人では、本項のような音声表現は現実的に非効率となる筈です。私達としては、印象・想念の流れを止めないよう、次々にやって来る印象をひたすら受け入れる姿勢が必要であると思っています。
私達に必要なものは、第一にこれら印象の流れを滞留させないこと、抵抗なく印象・想念を表現できる経路になり切ることです。またそうした中で各自の成長と体験の充実をはかることだと考えています。


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