ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落301 [2015-04-15]


301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。



【解説】
本項のように中には想念・印象が直接音声として認識される場合もあることでしょう。よく宗教の教祖がお告げを受けたり、強烈なインスピレーションを受けた場合等がそれに当たります。
いずれにしても、行為の前には必ず何らかの意思があり、それらが想念・印象の波となって周囲に放たれる訳ですから、誰でもその動きを察知できることになり、およそ宇宙に秘密など有り得ないのです。遠い世界(惑星)におあす仏様達にも、当然これらの想念は瞬時に伝わり、全てはお見通しということになります。
結局、私達地球人は他人には分からないと思って、悪心が生じる訳ですが、このようにたちどころに自らが考えることを他人に知られてしまう現実を見れば、少しでも心をキレイに保つことが如何に大切かが分かる筈です。テレパシー能力の開発は人間形成を促進する一助ともなるべきものです。


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