ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落297 [2015-04-09]


297 Some individuals find they receive only telepathic communications of a dire nature; while others receive beautiful visions of a more universal expression. This difference in quality of receptivity can be explained by the fact that the relative vibrations of each person is different. (In speaking of relative vibrations here, I mean to denote the thought-habit of the individual.) And since it is not possible to receive a vibration to which we are not attuned, we will attract those sympathetic to our habitual thought pattern. Remember, when the violin is not properly tuned it will not respond to the sound frequency of the other instrument.
297 ある個人は自分達が不吉な性質のテレパシー的意思疎通しか受け取らないことに気付きますが、他方ではより宇宙的な表現の美しい幻影しか受信しません。この感受性の性質の違いは、各個人における相対的な振動が異なるという事実によって説明出来ます。(ここで言う相対的な振動とは、私としては各個人の想念習慣を印す意図で用いています。)そして私達が調律を受けていない振動を受信することは不可能である以上、私達は私達の習慣的想念パターンにそれら同情的なものを引き寄せるのです。バイオリンが適切に調律されていなければ、もう一つの楽器の音声周波数に呼応することはないことを思い出して下さい。



【解説】
私達一人一人はバイオリンのような弦を持った楽器に例えられています。即ち各弦の持つ基本周波数に合致した振動には共鳴しますが、その他については共鳴しにくいということです。各人の個性、これまで体験したものから来る個人の性格等が想念・印象の感受についても特徴を示すことになるということでしょう。
何度となく述べられていることですが、「類は類を呼ぶ」という表現は、同様の共鳴現象、共感作用を示しています。従ってより高貴なアイデア、より上質な想念と出逢う為には、受けるこちら側もそれに近い性質を維持しておく必要があります。
逆に言えば、一旦良い方向に一歩を進めることが出来れば、以降は次々に事態は良い方向に循環(善循環)を示して行くことになります。


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