286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。
【解説】
私達が目指すべき心境について、著者は本項で詳細に説いていることに、私達は注目しなければなりません。
テレパシー能力は、本項に述べられているようなリラックスした心境でのみ養われる訳ですが、この「リラックス」とは通常、私達が言うリラックスとはむしろ、正反対のより活発な精神状態と言うところが重要です。本文にもあるように、時間的にはほんの一瞬でも極端に言えば何年も過ごしたような充実した精神状態、即ち自由な想念の流れが私達の目指すべき状況という訳です。
想念の流れに対し、心が一つ一つの判断を下すようなことを止め、自由に心を通過させることによって、私達は想念の流れに対して抵抗のないパイプのような存在になり、短時間でも多くの体験、知識の授与を得ることが出来ます。
ここで更に注目したいのは、このような想念は宇宙から無尽蔵に私達に注がれているのですが、私達の心が入口を塞いだり、ストレスを造り出したりする為に、流れが妨げられて来た訳で、その障害が取り除かれれば、より自由に想念が流れ込んで来ることになることです。
充実した精神活動は決して疲労をもたらすことはありません。金魚の例のように抑制状態がストレスや疲労を造り出す訳で、より自由で伸び伸びした状況になることが私達本来のあるべき姿です。
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