ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落285 [2015-03-23]


285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。



【解説】
極端から極端に走るのが人の常という訳です。私達は真のリラックスをどのようにして達成するのか、ここで本腰を入れて考える必要があります。
本項で述べられているように過度な集中状態、緊張状態が肉体細胞にストレスを与え、消耗させることは前項までに学んで来ました。しかし、そうだからと言って、その正反対である何ものにも関心を持とうとせず、何もしないただ惰眠によって時間を費やすことは、動物の冬眠にも近いと著者は警告しています。
冬眠の場合は生命存続の為に必要な厳冬期の対策である一方、このようないわば生命活動が停滞するということは私達には不要な状態であり、有害だということでしょう。
単純に「中庸」と表現することは簡単ですが、何故私達の心が全てを放棄し何もしない状況に陥るのか、また一方ではすぐに極度の緊張状態のいずれかの間を振り子のように転移しがちなのかについて、よく考える必要があります。物事を「良否」「優劣」その他の二元に分けること、「原因」と「結果」を分離すること等による私達の「裁き」志向の中に、その要因があるように思えるのです。


第3部 2章 段落284 [2015-03-20] <<  |  >> 第3部 2章 段落286 [2015-03-24]