278 Often, however, the loss of important telepathic communications - whether from animate or so-called inanimate sources - is not due to lack of interest, but due to a too intense interest; or a personal greed for knowledge. A thought, as we have explained, does not travel in a lump like a cannon ball, but in a series of waves. One complete thought may produce itself in fifty thousand individual undulations. Yet, nine times out of ten the instant a forerunner of a thought-message strikes the human brain the ego, if interested, will grab it and immediately tense the brain and body cells by concentrating upon the incoming thought. That sudden tensening of the cell activity is merely slamming the door in the face of the incoming thought. The five or six hundred impulses which found their way into our conscious brain cells before the door was closed, produced only a fleeting impression in our awareness; which, because we have received only a portion of the message, often results in a sense of confusion.
278 しかし、重要なテレパシックな意思疎通の喪失は生物からであれ、いわゆる無生物からであれ、関心の欠如に起因するのでなく、しばしば過剰な関心や知識に対する個人的な貪欲さにも起因しています。想念は私達が説明して来たように、大砲の弾丸のように塊で移動するものではありません。一つの完全な想念は50,000個の個別なうねりによって自身を作り上げているかも知れません。しかし、10の内、9回は想念メッセージがエゴである頭脳を叩く瞬間、エゴが関心を示せばエゴはそれをつかみ取り、そのやって来る想念に集中することで、頭脳と肉体の細胞を即座に緊張させます。細胞活動をそのように急に緊張させることは、入って来つつある想念の目の前でドアをバタンと閉めていることに過ぎません。その扉が閉まる前に私達の頭脳細胞の中に入った500から600の衝動は私達の知覚の中に先頭の印象しか作り出すことが出来ませんし、私達はそのメッセージのわずかな部分しか受け取らなかったため、しばしば混乱の感じしか結果として残らないのです。
【解説】
一方で関心を持つ姿勢の中にも課題は存在します。つまりは本項で著者が解説しているように、私達自身に落ち着きが無く、直ちにやって来る想念・印象に飛びつき、身体細胞を緊張させて本来、続けてやって来る想念の糸口を遮断してしまう行動を取るという訳です。
実は心に十分なる余裕が無ければ、この新規な印象を十分に解釈できずに遮断させることにもなりかねないという訳です。芸術家、哲学者、詩人が皆、静寂の中に身を置いた後に作品作りに向かうのは、こうした心の状態を整えることに関連しています。創作活動の過程でやって来る宇宙的な印象に対し、気づくことはもちろん、受け入れる過程においても過度の興奮や緊張状態に陥らず、ある意味、冷静にその全体像を把握するよう心を整える必要があるからです。
止水明鏡という表現がありますが、やって来る想念・印象の本質がどのようなものをイメージしているのか、静かに観察することが求められています。
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