275 But even with interest we must analyze our mental reactions; for there is personal interest, and universal interest. One may find that he is able to receive many impressions or premonitions regarding his own affairs; yet be a closed channel for national, world, or universal impressions. If this person will watch his thought action closely, he will discover that hundreds of thoughts pass through his brain during each day which do not register strongly; because they do not seem to pertain to himself, his personal experiences, or have appeal to his individualized knowledge of outside affairs.
275 しかし、関心についても私達の精神面の反応を分析しなければなりません。何故なら、個人的な関心もあり、宇宙的な関心もあるからです。人は自分が自分自身の事柄に関しては多くの印象や予感を感受することが出来ていることには気付くかも知れません。しかし、国家や世界、あるいは宇宙的な印象類については閉ざされた経路になっています。もし、この人物が綿密に自らの想念波動を観察するならば、毎日何百もの想念が強い印象を残さないまま自身の頭脳を通過していることを発見するでしょう。何故ならそれら想念は自身や自分の個人的な体験に属するようなものでなく、自身の外部の出来事についての個人的な知見に訴えるものではないというのがその理由です。
【解説】
実は「関心」と言っても、その内容にも課題があるのです。個人的な事柄への関心に終始してしまうのでは、宇宙的進化の道を進んでいるとは言えません。そうした状況に陥る原因は仮に宇宙的な印象がやって来たとしても、細胞あるいは心自体が自分に関係のないものとして、そのまま通過させて済ませているという訳です。
こうした状況を打開するには、私達は自分の関心を自己中心から周囲の者や自然界、更には宇宙へと拡大させる必要があります。努めて世の中の情況を見守る姿勢が求められる訳ですが、くしくも千手観音像のように、自らを様々な苦難にあえぐ人々に救いの経路として手を差し伸べる姿が象徴するように、人々の成長に役立つ存在になろうとする心境が求められるということでしょう。
第3部 2章 段落274 [2015-03-06] <<
|
>> 第3部 2章 段落276 [2015-03-10]