ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落267 [2015-02-24]


CHAPTER U
Relaxation, Interest and Receptivity

267 We have been taught that intense concentration is the only means by which anything can be accomplished in this world. We are told that the happy-go-lucky individual never becomes an outstanding figure in any line of endeavor; so we should at all times keep our shoulder to the wheel, our eyes on the ball, and our nose to the grindstone (a most uncomfortable position). But here again, we will find that we have been unwisely informed.

第2章 リラクゼーション、関心及び感受性

267 私達はこれまで強烈な集中が、この世の中で何かが成し遂げられる為の唯一の方法であると教えられて来ました。私達は楽天的人間は決して如何なる努力の分野でも秀でた人物になることはないと教えられて来ました。ですから私達は常に車輪に肩を付け、ボールに目を置き、砥石に鼻先をつけ(最も不快な姿勢を)続けるべきとされて来ました。しかし、ここで再び私達は愚かなる情報を与えられ続けていることが分かるでしょう。



【解説】
これまで世の中ではとかく集中力が全てだと言われて来ましたが、そこには誤解があると本項は説いています。努力し苦労して何かを達成しようとすること自体を否定するものではありませんが、本講座を学ばれて来た皆様はそもそも私達がどの分野に努力するべきか、精進しなければいけないかを考えれば、それら集中的な労苦は本来の的から外れていることに気付く筈です。
私達が達成しなければならないのは、自らの身体の細胞達、更には自らの心を様々な束縛、自縛から解放し、もっと生命本来の自由で鋭敏な状況に造り上げることです。その為には、過度な労苦や努力は逆に肉体や精神を疲労させ、進化の道を歩めなくする可能性もあるのではないでしょうか。
私達が気付かないだけで、私達あらゆる生きものには必要なものは全て時々刻々与えられています。その贈り物を受け取れないでいる自らが問題なのであり、より謙虚に自らを解き放って宇宙を源泉とするそれら想念印象波動を享受する態勢づくりこそ、主眼にすべき事項なのです。


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