ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落262 [2015-02-16]


262 As I have said, all manner of vibrations are constantly beating upon the cell portals of our bodies. Inasmuch as every cell is a conscious entity, the mass as a whole is perfectly capable of intercepting any one of these vibrations. When the cell-minds do not receive them, it is because they have become too interested in the central ego of the form. This means that they have concentrated their actions about the ego to such an extent that they are not aware of the existing outer force.
262 これまで述べましたようにあらゆる形態の振動が常に私達の肉体の正面入口部分の細胞を叩いています。一つ一つの細胞は意識を持つ存在でありますので、全体の質量としての塊は、これら振動の如何なるものも捉える能力があります。細胞の心がそれらを受信出来ない場合は、それらが形あるものの中心のエゴに対し、あまりにも強い関心を持っている為です。このことはそれがエゴに自分達の行動をそれ程に集中化させて来た為に、それらが外部の力の存在に気付かなくなっていることを意味します。



【解説】
外界から飛び込んで来る想念・印象の振動に対し、私達が気が付かないでいる理由は一つ一つの細胞が自分自身の関心事に集中してしまっている為にそれら精妙な振動に気付かないからだと説かれています。
自我(エゴ)中心の生活を送り、惰性の暮らしを送っていてはますます、かたくなさは全身に浸透し、感性の鈍い人間に成り下がってしまうという訳です。それを食い止め、本来の姿に戻す為には常に宇宙や身の回りの空間から得られる印象情報に関心を持つこと、常に受容的な態度を保つことが必要となります。
柔軟性や無欲、何事にも探究する姿勢や意欲は自分を度外視した他者への奉仕活動を通じて養えるものだと思います。私達が創造主の恵みによって生かされていることを知れば、その一部を他者に分かち合えることは、喜びであり、私達の身体細胞をより柔軟なものに変化させることになります。


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