ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 1章 段落254 [2015-02-04]


254 When we consider that consciousness is activity, and that thought is energy produced by that activity, and that thought cannot be destroyed but can be transmuted or transformed, we must stand in awe before the realization of the prodigious bombardment to which our bodies are subjected by billions upon billions of charged particles flying through space in never ceasing activity. Since these countless variations of vibrations surrounding us at all times, and the human body is capable of receiving all of them through the feeling channel, why is that the average person receives so few? Why are some more receptive? What determines the type of vibration to which each individual is receptive?
254 私達が意識は活動であり、想念はその活動によって作り出されたエネルギーであり、想念は破壊されず変質あるいは変容するだけだと考える時、私達の肉体が止むことなく宇宙空間を飛来して来た何十億もの荷電粒子による桁はずれの数の衝突にさらされているという自覚を前にして私達は驚きの中、立ち尽くす筈です。私達を常々取り囲むこれら無数の諸振動はフィーリングの経路を通じてそれら全てを受信することが出来ますが、一方で何故平均的な人間は感受がそんなに少ないのでしょうか。他の者がより多く感受できるのは何故か。各々が感受する振動の形式はどのようにして決まるのでしょうか。



【解説】
極言すれば常に活動しているもの、動いているものが生命の本質であり、意識であると著者は本項で説いています。その活動の結果として想念が生まれるということもポイントでしょう。
私達はこのように世界を眺めると、実は私達には自身の内部の生命活動の他にも周囲の大気や外宇宙を貫いて膨大な数の荷電粒子が自身を通過しているという訳です。それら活動に対して、私達は目下、何ら気に掛けることなく日常生活を送っていますが、本来、それら微粒子(あるいは素粒子と言った方が良いかも知れません)のもつ活動がもたらす印象も同時に生成されている筈です。そこに気付いていないことは、どうしてかということを本項では問いかけているのです。
あらゆるものに意識があり、その意識と触れ合うことで想念・印象が生成することは前項(253)で学びましたが、そういう観点で言えば、私達はありとあらゆる場面で膨大な数の時々刻々真新しい想念・印象が生まれる中で生きていることになる訳で、惰性や退屈とは正反対の目くるめく世界に生きていることが分かります。


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