Part
V
CHAPTER I
Control of the Ego
249 In olden times, teachers of philosophy demanded strict adherence to certain disciplines of body and mind before they would accept a pupil. They did this because they knew that if a man could not control his sense mind and body-habits, he was not yet ready to receive higher instruction. Some great teachers demanded a five-year period of absolute silence from the pupil before they would even consider the possibility of instructing him. This may seem drastic to us today, yet it served a two-fold purpose. The student learned self-control through not being able to participate in conversation around him; and the enforced role of an impartial listener made it possible for him to study and evaluate both sides of every question.
第3部
第1章 エゴを統制すること
249 古くは哲学の教師達は弟子を受け入れる前に肉体と心についてある種の訓練に厳密に従うことを要求したものです。教師達は、もしその者が感覚心や肉体の習慣を統制できなければ、より高次な教えを受ける準備が出来ていないことを知っている為、そうしたのです。偉大な教師の中には、その弟子を教えられるかを考える前に、その弟子から5年間の間、全くの沈黙を課した教師もいました。これは今日、私達にとっては過激に見えるかも知れませんが、それには二重の目的があったのです。弟子は自分の周囲の会話に参加出来ない為に、自己統制を学びましたし、また隔てない聞き役としての強いられた役割によって、すべての問いに対する両方の側について学び、評価することが可能となったのです。
【解説】
実はテレパシー開発は自らの心の問題に直結する課題であるが故に、その進む道は他人にはどうすることも出来ない自分自身の内面のコントロール、自己統制が必要という訳です。
これまでいくら長い時間をかけているにも拘わらず、成果が目に見える形で現れないという場合にも、おそらくこの根本的な条件、即ち自分の心が持ち込もうとする外乱を抑制する作業に問題があると考えるべきかと思われます。
本文ではどなたかの発言かは存じませんが、5年間の無言の修行を命じていたことを紹介していますが、高ぶり奢った心の状態を本来の受容的な状態に戻すにはそれほどの長年月を要するものだと理解する他はありません。
従来、とかく安直な気持ちでテレパシー訓練を見がちでしたが、実は第3部に入って、より実践的な教科に入った途端、本文のような大変厳しい現実に直面することになります。
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