ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 4章 段落248 [2015-01-27]


248 The more disinterested we become in ourselves as a personal ego, the finer our perception becomes. Cosmic Life, or conscious awareness, is never confined to the body. Our limited mind-the mind of effect-tries to hold all things within the realm of its concrete understanding. But the mind that we know is only a shadow; while Cosmic Cause is Reality expressing. When the individualized mind recognizes its limitations, then wills itself to that which knows its purpose for being, its power becomes unlimited.
248 私達が各個人のエゴとしての私達自身に対して関心が薄れるにつれて、私達の知覚力はより繊細なものになります。宇宙的な生命、あるいは意識の知覚力は私達の肉体に限定されることはありません。私達の限られた心、即ち結果の心は全ての物事をその確固たる理解の領域の中に把握して置こうとします。しかし、私達が知っている心は影でしかなく、宇宙的因が表現されている現実なのです。各自の心が心の限界を認識し、心の存在目的を知るものへ自身を仕向ける時、心のパワーは無限になるのです。



【解説】
ここで重要な所は、私達の心はとかく全てを自分の理解の下、自分の支配下に置こうとすることが、テレパシー訓練を妨げる最大の要因であるとしている点です。
もちろん、私達は学習を通じて、宇宙の仕組みや自分の肉体、心の作用を学んでいる訳で、心に知識は多かれ少なかれ蓄えられて行きます。しかし、それだからと言って心が全ての事柄を知ることは出来ないという点を先ず、明確にして置くことです。その上で心の及ぶ領域を超えた「宇宙的因」の存在を認め、その因こそが主役であり、自分の心は影に過ぎないのだということを認めることが重要となります。
そうすれば、心は絶えず宇宙的因に全ての指導を委ねるようになり、宇宙的印象に対して受容的な心境を保つことが出来るようになります。「他力本願」の意味もその辺にあるように思われます。


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