ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 4章 段落236 [2015-01-07]


236 Since we are part of this world, we must differentiate between the acts in our lives. We are allowed to analyze for the purpose of understanding, but must not divide or condemn. We have not the right to sit in judgment on our brother. He has come this way to learn his own lessons. And just as we cannot attend school for our children and expect them to receive an education, so we cannot attend the School of Life for another. We can offer a helping hand or a guiding word, but at no time should be try to force our will upon him. Remember, he may be struggling to learn the lessons we have already mastered, but he must master them himself.
236 私達はこの世界の一部である以上、私達の生命における諸活動の間を識別しなければなりません。私達はその理解の目的の為に分析することが許されています。しかし、差別したり、責めたりしてはならないのです。私達には兄妹に裁きを下す席に座る権利はありません。その兄妹は自身の教科を学ぶ為、ここに来たのです。また、私達が私達の子供達に代わって学校に行くことで子供達に教育を受けさせることが出来ないことと全く同様に、他の者に代わって生命の学校に出席することは出来ません。私達は助けの手を差し伸べたり、導きの言葉を掛けることは出来ますが、如何なる時であっても私達の意思をその者に強制しようとすべきではありません。覚えておいて欲しいのは、その者は私達が既にマスターした諸教科を学ぼうと努力しているかも知れませんが、彼は自分でそれらをマスターしなければならないということです。



【解説】
私達はただ全てのものを一つの創造物として、それで良しと安住すべきと言う訳ではありません。一つ一つの創造物を研究し、それらの仕組みや役割を学ぶことが、理解を深める為には必要になって来ます。しかし、その過程で、物事に優劣を付けたり、好き嫌いや善悪のラベルを付けることは厳に慎まなければなりません。
本項はこうした分析の過程は大変重要である一方、とかく私達はその中で自分の勝手な判断で、他者への批判を行い易いことを戒めています。
仮に自分から見て、問題の多い人物であったとしても、その人に代わって何かをして上げることは出来ませんし、長い人生航路の中でたまたま現在、その位置、その段階に居ることを先ず良く認識して置くことが重要です。どのような場合でも各人が学習の途上にあることを踏まえて、安直に判断を下さないよう努める必要があると本項は説いています。


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