ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 2章 段落176 [2014-09-30]


176 Here is another example of how a worried mind affected the body cells to the point of physical breakdown. For twenty years a friend of mine had prided herself on being an immaculate housekeeper. In fact, her home was so "freshly-vacuumed" looking, both family and friends were never quite comfortable in it. While entertaining, she had an annoying habit of watching the ash trays, fairly snatching them out from under cigarettes so she could replace with clean ones. Her every move, every facial expression reflected nervous anxiety, making the atmosphere in the home vibrant with uneasy tension.
176 ここに心配しがちの心がどのようにして肉体細胞を物理的な崩壊点にまで影響を与えるかに関するもう一つの例があります。私の友人の一人は20年間にわたり、完璧な主婦であったと自慢していました。実際には彼女の家は余りにも「真新しく電気掃除機がかけられた」ように見える為、家族も友人達もその中では決して心地よくはありませんでした。興じている最中でも彼女はタバコの下から灰皿をひったくって新しいのと入れ替えられるよう、灰皿を凝視するイライラさせる癖がありました。彼女の一つ一つの動作や顔の表情は神経質な心配の念を投影しており、その家庭の雰囲気を落ち着かない緊張感でみなぎらせていました。



【解説】
私達が生きる目的を何処に置いているかは重要な所です。本項の例はある面、真面目な者にとって陥りやすい点でもあるでしょう。大切なことは、自分自身も含めて、周囲の者、周囲のあらゆるもの達に、生命本来の活動状況を自由に表現させることであり、自分の尺度を押し付けてはいけないのです。
この場合、きれい好きが高じて周囲に不愉快な思いや不要な緊張感をもたらしているのですが、本人がそのことに気付いていない所が問題なのです。
一般に自分自身のことは自分ではなかなか分からないものです。しかし、それは自分自身を見渡せないことをも意味しています。その結果、心の暴走を止めることが難しくなるのではないでしょうか。その為には、自分自身を知る為にも、相手の反応から学ぶことも大切です。自分の放った想念は相手に感受された結果、その反応として帰って来るからです。他者を鏡として生きることも有用なのではと考えています。


第2部 2章 段落175 [2014-09-29] <<  |  >> 第2部 2章 段落177 [2014-10-01]