ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 1章 段落160 [2014-09-08]


160 The Living Soul, given to man when the Creator breathed the breath of Life into his nostrils, does carry the True Book of Remembrance; but few who have lived, or are now living on earth, have as yet evolved in understanding to the place where they may read. True, on rare occasions we may be given a glimpse of a word here and there, and with understanding can interpret these correctly. But since most Earthlings have not yet learned sufficient control over the sense-mind, more than a brief glance cannot be vouchsafed them.
160 創造主が人の鼻の孔の中に生命の息を吹き込んだ時、人に与えられた生ける魂こそが真実の記憶の書を運んでいます。しかし、地球にこれまで生きて来た、あるいは現在生きている者で、その者達がそれを読み取る場所まで理解力を発展させた者は極くわずかです。真実の所は私達はまれにそこここで記載されている言葉の一瞥を与えられ、理解力により、これらを正しく解釈することが出来るかも知れません。しかし、ほとんどの地球人が感覚心に対する十分な支配を学び取っていない為に、わずかの一瞥以上のことを与えられることはないのです。


【解説】
そもそも私達が生きものとなった瞬間に私達自身の中に記憶の書とも言うべきあらゆる知識が与えられたという訳です。同様なことは私達が母体から生まれて初めてこの世で呼吸した時点にも当てはまるのかも知れません。
いずれにせよ、私達自身の中に本項で言う記憶の書が入れ込まれており、本来は各自が必要な時それらを調べ知識を得ることが出来る仕組みになっています。
「記憶」については現在の私達の科学レベルでは頭脳の中に記憶場所があることになっています。一部の脳細胞がその内側に記憶を取り扱う役割を担っていることも確かでしょう。しかし、それがどのような形式で行われているのか私達は未だ知りませんし、その記憶がどのように活用されるかも分かりません。
しかし、人体のユーザーである私達は実際の使用方法、活用手法について学んで行く必要があるのです。丁度、自動車のメカニズムは熟知していなくても、自動車を安全快適に運転することと同じです。大切なのはこれら記憶の書を如何に自分のものとして親しむかということでしょう。
優れた講演者は原稿も見ず、長時間聴衆に向けて貴重な講話を行いますが、彼らは次々に語るべき内容をどのようにして得ているか不思議に思うことがありました。この時、講演者は自身の内側の記憶の書に長年蓄積して来た話題を状況に合わせて引き出し、聴衆の求めに応じて披露していると言うことが出来ます。


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