ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 1章 段落150 [2014-08-25]


150 When man gives any thought to material substance, he is very likely to accept the image given to him by those organs of deception, the eyes, which hold to the solidity of matter; so he believes a vast difference exists between matter and space. Yet, in the laboratory we have discovered that form is not solid; but may be likened, as one writer expressed it, to a mass of soap bubbles.
150 人が物質的な物に何らかの想念を与えようとする時、人は欺く器官、即ち物質の固体性に執着する眼によって与えられたイメージを受け入れ易いものです。その結果、人は物体と空間とでは莫大なる差異があると信じているのです。しかし、それでも実験室で私達は形あるものは硬いものではなく、ある作家が表現したように、形あるものは石鹸の泡の塊に似ていると表現できることを発見しているのです。



【解説】
私達が対象物に目をやる時、まず最初は私達の目がその対象物を形あるもの、固体として認識するでしょう。この時、見えるものしか相手にしない私達の視覚の限界性について、著者は第一の問題と指摘しているのです。
視覚に依存する私達は目に見える範囲のものしか思考の対象としなくなってしまいました。しかし、実際には著者がいみじくも述べているように、物質は泡のようなものである訳です。既に私達も学んでいるようn原子の構造はその大部分の質量を原子核が有しており、その原子核から離れた周囲を電子が周回し、丁度雲のように包んでいる訳で、物質のほとんどは空間ということになります。
逆に言えば、目で見、手で触って確かに固体と私達は思っている訳ですが、それも実際には空間であると言うことが出来ます。即ち、目の前の空間と物体との本質的な違いはないことになります。


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