ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第2部 1章 段落141 [2014-08-12]


141 Now, let us take an example of how equally strong, constructive emotions impregnate a dwelling. When we enter another house, a warm feeling of friendliness greets us at the door. In contrast to the first, the rooms may be small, the carpet thread-bare, and the view from the windows confined to shabby cottages across a narrow street; but the cells of this dwelling have been impressed with harmonious thoughts of love and laughter; and we instinctively respond to these emotions. We will find ourselves smiling unconsciously, and will settle back to absorb this feeling of peace.
141 今度は、如何に同様なる強い建設的な感情が住居に染み込むかの例を取り上げましょう。私達がもう一軒の家に入ると、暖かい友好的なフィーリングが玄関口で私達を迎えます。最初の事例の家とは対照的に、部屋は狭く、カーペットは擦り切れ、窓からの眺めは狭い通りの向かいの古びた田舎屋が見えるだけです。しかし、この住居の細胞達は愛と笑いの調和ある想念によって印象付けられていますし、私達は本能的にこれらの感情に反応します。私達自身、無意識に微笑んでいることに気付きますし、この平和なフィーリングを吸収する為、ゆったり椅子に座ろうとすることでしょう。



【解説】
本来の生命の流れに沿ったものに対しては、私達はそれに心を開き、それと融和しようとするものです。本事例の場合、たとえ外観は貧しい環境であっても、その中に居ると心がなごむのは、こうした私達自身が目に見えない想念波の影響を受けることに起因します。
よく神社や寺院等で静かな気持になれるのは、単に景色、風景が落ち着いているというだけではなく、祈りや神仏に対する人々の想いを知らず知らず私達が感じ取っているからに他なりません。
アダムスキー氏は生前に金星と土星を訪れましたが、その中で実際、他惑星人の住居を見てその中を見聞した訳で、その体験は氏の生命に関する更なる深い理解に役立ったものと思われます。
もちろん、各自の家庭をどのような状態にするかは各人の責任です。「修身斉家治国平天下」の表現のように、自分自身の次に行うべきは、各自の家庭を本来の状況に引き上げることです。


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