ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落095 [2014-06-04]

095 I then turned to analyzing what impressions were, and found many of them to be what we classify as thoughts; our conscious thoughts, as well as the commands our minds are constantly transmitting to the various parts of our bodies.

095 私は次に向きを変えて印象類が何であるかを分析することにしましたが、その結果、それらの多くが私達が分類上想念とするもの、私達の意識に浮ぶ想念類であるとともに、私達の心が私達の身体の様々な部分に絶えず発している指令であることが分かりました。

【解説】 よく自分を見つめることの必要性が説かれますが、その内、最も重要なのは本項で述べられているように、自分の想念に向き合うことです。その人の人格を作り出す源はその人の抱く想念です。そのレベルを自ら見極めることは、第一歩になります。 想念は行動を支配することから行為の原因は想念に行き着くことになります。よく犯罪捜査で、動機が事件解決のカギになるとされますが、それもこの想念に帰着する訳です。 さて、これまで私達は本項座で想念や想念の伝達について学んで来ましたが、私達の想念のレベルの実態はまだ、本来の想念を取り扱う段階には至っていないように思われます。私達の多くが想念として認識しているもののほとんどは、既存の感覚の反応、即ち感覚の意見でしかないようです。まだ、私達は宇宙本源につながるような想念やアイデアに接する機会は少ないということでしょう。 しかし、これら真の有益な想念・アイデアは宇宙に満ちていると考えるべきです。通常の私達の心が自らの感覚の意見に振り回されている為、それに気付くことなく過ごしてしまっているという訳です。こうした本来の想念やアイデアに触れる為にも、先ずは自分の心を見つめる必要があるということです。

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