ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落078 [2014-05-12]

078 Here are a few examples of how the senses disagree. First, let us use this fanciful situation. In a hall seating a thousand people, imagine we have sensitized the floor to the degree where an insect falling upon it would register a sound loud enough to be heard by all; and to implant this information strongly in the minds of those present, we have conducted a number of experiments demonstrating the sensitivity of the floor. So if, by the trick of using heavily padded soles, we have a man walk down the aisle without producing the sound of accompanying footsteps, the following imaginary conversation might take place between our eyes and ears.


Eyes: "I see a man walking down the aisle."

Ears: "Impossible! I hear no sound."


Eyes: "But I tell You he is there. He's about half way down."

Ears: "It's your imagination. We both know how sensitive this floor is. I'd hear anyone walking down the aisle."078 ここで各感覚が如何に互いに意見が合わないかを示す若干の例を挙げましょう。この空想上の状況を採用しましょう。千人の人々が着席しているホールの中で、一匹の虫がその上に落ちても全員に聞こえるようなだけの大きな音が記録されるような位に床の感度を高めたとして、その情報を強くそれらの人々に植え付ける為に、私達はその床の感度を実証する数多くの実験を行って来ました。そこでもし、靴底に厚い当て物をするというトリックを使って、一人の男に足取りに伴って発生する音を出すことなく、通路を歩かせたとすると、私達の目と耳の間で以下の想像上の会話がなされるかも知れません。 目:「通路を歩く一人の男が見える。」 耳:「有り得ない! 全く音がしていない。」 目:「しかし、言って置くが、その男はそこにいる。もう半分の所まで来ている。」 耳:「それはあなたの想像だ。私達二人共、如何にこの床の感度が高いか知っている。もし誰かがその通路を歩けば聞こえる筈だ。」

【解説】 自分の考えを主張し合うだけの討論の光景を地球ではよく見かけます。同様なことが私達自身の中でも起こることを本項は示しています。一方で、進むべき方向が異なる意見の中、どうしようか葛藤する状況も類似したものと言えます。このような状況をかつてイエスは「2心ある」状況と語ったのではないかと思われます。 つまり各感覚が一つにまとまっていない限り、物事は成し遂げられないことを示唆しているように思われます。好例はフィギャースケートその他一流のスポーツ選手やピアノ演奏等に見る音楽家です。その行動には一切の迷いや躊躇は無く、一瞬一瞬を高度な行動を行っています。そこには感覚の意見など入り込む余地はなく、宇宙空間からのインスピレーションを身体に取り入れ自らの身体行動で表現しているのです。私達が目指すべきはこうした既存感覚を宇宙からのインスピレーションと直結し自身を表現するよう、融合させることにあると思っています。

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