ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落068 [2014-04-23]

068 Inasmuch as each of the four senses possesses this element of feeling, which is an intelligent force having the ability to react in a conscious state to expressions of itself, or in other words, the element that registers each contact of existing vibration, we must admit that telepathy is certainly not outside the normal operation of the recognized sense organs. For it is through the feeling channel, regardless of the avenue of reception, that thought becomes known.

068 この四つの感覚が意識的状態の中でそれ自身を表現する為に反応する能力、言い換えれば存在する振動との接触を毎回記録する要素を所持している以上、私達はテレパシーは確かにこれまで認識されている感覚器官の通常の作用を超えるものではないことを認めねばなりません。何故なら、感受の経路に係わらず、想念が知られるのはフィーリングのチャンネルを通じてであるからです。

【解説】 私達の基本的な感覚はフィーリングであり、触覚もそれに含まれるという訳です。言うなれば、私達は日頃から触覚的な手法で物事を認識する必要があります。 私が良く用いる例に明かりがあります。電灯を消して真っ暗にした部屋とその直前とは部屋の状況は全く同じですが、私達にとって暗闇は不安な気持になります。しかし、それは視覚が騒いでいるだけで、明るさに係り無く部屋にある事物はそのままであり、私達の視覚だけがそれを捉えきれないだけなのです。 一方、私達の身体は外界の明るさに関わり無く正確に動いていますし、暗闇の中にあっても所定の活動は影響されることはありません。独り視覚だけが暗闇を問題視し、騒いでいるだけなのです。 フィーリングを主軸とする生活は私達に各々の対象についてその本質は何かについて啓示を与えてくれます。しかし、最初の内はこれらの印象は微弱で十分には捉えられません。また感受しても行動に移せず、後で後悔するケースも多いものです。フィーリングを中心とする生活はこれまでの自分から飛躍するチャンスなのですが、そこに至るまでには数多くの失敗を経ることが通常のようです。

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