ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落063 [2014-04-16]

063 Let us now deprive man of one of his four senses, such as sight. Does this affect the life force in the body? Not at all! We can go further and deprive him of two, three, or even all four; yet he will still be a conscious, living being. Though the actual organs of sense are not functioning, he is conscious of knowing joy or sorrow, peace or pain, and he is able to receive mental impressions and visualize them perfectly.

063 では人からその4つの感覚の内の一つ、例えば視覚を取り去って見ましょう。これは肉体内にある生命力に影響を与えるでしょうか? 全く有りません。次に進んでその者から二つ、三つそして四つ全部を取り去ることも出来ますが、それでもその者は意識ある生きた存在であり続けることでしょう。実際の諸感覚器官は機能していないにも拘わらず、その者は喜びや平安、或いは苦痛を知る意識を有していますし、心的印象を感受し、それらを完全に映像化することが出来ます。

【解説】 たとえ視覚や聴覚が無くなっても、人間は人間らしく生きる上で障害にはならないことは、ヘレン・ケラー女史が身をもって証明しています。目は見えず、耳が聞こえなくても著作をしたり、世界各地で講演する等、多くの障害者を励ます存在であり、本項で説く内容を私達に示して呉れた存在です。既存の4つの感覚器官は実は生命の本質的な活動とは離れた存在であるという所が、テレパシーを学ぶ私達にとって重要なところです。 従って私達は以後、これら4感(視、聴、嗅、味)に代わって、感じ(フィーリング)に重きを置いた生活を始める必要があります。外見よりもそこから発せられる印象を第一とする訳です。しかし、そうだからと言って、これら4感が全く不要だとする訳ではありません。創造物の美しさを愛で鑑賞する経路として用いることです。

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