ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落062 [2014-04-15]

062 But what of the so-called fifth sense? If we deprive man of feeling, as we have done with sight, hearing, taste and smell, what is the immediate result? He lapses into unconsciousness, and will remain in that state until feeling is restored. While he is in this state, the organs of sense are still in the body and in perfect condition. The eyes, nose, palate and ears are uninjured, yet they do not see, smell, taste, or hear. And if feeling is complete]y withdrawn from the body, that person dies. Therefore, it is quite apparent that each of the four senses is dependent upon feeling for its existence.

062 しかし、いわゆる第5番目の感覚とは何でしょう? もし、人間から私達が視覚や聴覚、味覚や嗅覚について行ったように、フィーリングを取り除いたら、どのようなことが直ちに結果となって現れるでしょうか? その人は無意識の状態に陥り、フィーリングが回復されない限りはその状態に留まるだろうということです。その人はこの状態にある間、それら感覚器官は肉体内にあり、完全な状態にあります。両目は鼻、舌や両耳は損傷を受けていませんが、それらは見たり、匂いを嗅いだり、味わったり、聞いたりしないのです。そしてフィーリングが肉体から完全に取り去られるなら、その人物は死にます。ですから、この4つの感覚各々はその存続をフィーリングに依存していることは、まったく明らかなのです。

【解説】 私達が何らかの重大な病状で危篤状態になった時、目や鼻、耳はもはやその機能を果たしません。通常、私達はこれを意識が有る無しという表現で表します。また深い眠りについた時も同様です。この状況は本文で言うフィーリング(感じ)が肉体から去りつつあることを示しており、私達が生きていること、意識があることが実はこのフィーリング(感じ)が十分働いていることと密接に繋がっているという訳です。また、私達がこの状況に関連し通常用いる「意識の有無」という表現も、著者が長年表現する「宇宙意識」と近しいものと考えます。 「感じ(フィーリング)」という状態こそが、全ての身体器官を下支えしており、私達はその上に生きているという訳です。実はそれほど重要な要素であるにも拘らず、私達の生活はもっぱら目や耳その他に由来する表層的な認識でしかない限られた感覚に依存して来ました。また、その感覚自体、自ら関連する細胞が増長してこの両親とも言える感じ(フィーリング)に関心を持つことは無かった訳です。 このテレパシーを学ぶ上での重要な点は、自らの日常の一挙手一投足を従来の感覚ではなく、「感じ(フィーリング)」に基づいて進めることだと考えています。こうする内に、自然界の諸々の創造物とも意思を交わせることが出来、また自分自身にもインスピレーションに満ちた生活を送ることが出来るように思われるのです。

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