ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落041 [2014-03-10]

041 (In my references to the animate and inanimate phases of manifestation, I am using the words as we understand them. In reality, these divisions do not exist; for all expressions of life are active. )

041 (私の前述の創造における生物と無生物の各状態に関連して申し上げれば、私はそれらの言葉を私達が理解している通りの意味合いで用いております。しかし、実際にはこれらの区別は存在しません。何故なら全ての生命の表現は活動的であるからです。)





【解説】

生物と無生物の区別は無いのだと本項は説いています。

このことは既に私達も原子・分子等各々の構成要素には何ら区別がある訳ではないことを学んでいますが、肝心の概念の上では十分な認識は育っていません。同様なことは植物と動物の区分についても当てはまります。

しかし、少し詳細に調べれば、微生物の世界では動物とも植物との言えるような原生動物(例えばミドリムシ)も存在しますし、自然は多様な形態に溢れています。

逆に言えば私達はこれまで無生物として来たものに対し、より以上に愛着を持ち、あたかも友人や兄弟のように接することも大切なことではないかと考える次第です。磨かれた石には内部の美しい文様が浮かび上がり、秘められた美の造形を目にすることが出来ます。まして全山、これら岩石から成る山に対しては、私達日本人は古来からその山を崇めて来ました。また人間世界を見つめて来た大木(たいぼく)に対しては、しめ縄を飾って霊木、人智を超える智恵を持つものとして大切に接して来た訳です。

このように私達の祖先は自然界にあるあらゆるものの中に神性を観るという優れた感性を有していた訳で、そういう意味ではテレパシー能力開発の上から、十分なる下地が出来上がっているということになります。


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