ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 2章 段落036 [2014-03-03]

036 Lifting my eyes to the hillside, I discovered feats of engineering that would have been impossible for man to duplicate not too many centuries ago. Growing straight and strong, a sturdy oak clung to the precipitous slope. Nature had not used a slide rule to calculate at which angle the roots should imbed themselves to stabilize the tree's weight; they had instinctively grown in the right direction and to the proper depth. And I knew that if I were to take a saw and cut a large limb from that tree, nature would immediately compensate for the shift in weight by sending out new roots to bring the tree once more into perfect balance. The wild poppy growing at its feet, and the clumps of sagebrush dotting the slope, all bore witness to this same engineering principle.

036 丘の斜面に目を上げると、何世紀か前までは人間が真似出来なかった工学の偉業を発見しました。真直ぐに逞しく成長する1本の樫の木が急峻な斜面にしがみついていました。自然は木の重量を安定化させるには、それらの根がどの角度で潜り込んだら良いかを計算する為、計算尺を用いたのではありませんでした。木の根は本能的に正しい方向、適切な深さまで成長したのです。また、もし私がノコギリを手にとって大きな枝をその木から切り落としたら、自然は直ちに新たな根を伸ばして再び完全なバランスがとれるようにして、重量変化を補正するだろうことは私には分かります。野生のケシがその樫の根元に生え、ヤマヨモギの茂みが斜面に点在していますが、それら全てがこれと同じ工学の原理の証拠を与えていました。





【解説】

私達日本人にとっては、松の枝が優雅にバランスを取る姿を特に美しいと感じる訳ですが、それを支える地中深く伸びる根の行動が無ければその美しい姿は成り立たないことになります。

あらゆる植物はどのようにして自分を支え、生きて行くかについてですが、それは自ら考えるというよりは、因から与えられる無言のアドバイスに従って適時適切な行動をしていることが分かります。

問題は植物が行っていることを何故、私達地球人が行えないのかということです。本来、因からはあらゆる生きものに対して等しく生きる上での智恵を授けており、それ故に自然全体がのどかな風景を作り上げている訳です。独り人間だけが、その贈られているアドバイスに無関心のまま、自分自身の心のみで生きて行けるとしているのではないでしょうか。しかし、そのような限定的な生き方から因に対する信頼と誠実さをまず身につけて、より広い世界に生きることの必要性を著者は私達に説いているのです。


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