ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 1章 段落021 [2014-02-06]

021 It has been said, "A natural man knows the way of the Spirit, while the unnatural man knows not the way of the Spirit." This means, that once man recognizes his oneness with Cosmic Cause and begins to use its laws, he will have no further need of a teacher; for the Law gave him life....and the Law will be his teacher. The great universal language, which we use daily and know not, speaks to us in the deep reverberations of the thunder; and communes with us in the silence of Creation's deepest repose.

021 「自然人は聖霊の道が分かる一方、不自然な人には聖霊の道が分からない」と言われて来ました。この意味は、ひとたび人が宇宙の因との自らの一体性を自覚し、その法則を活用し始めるなら、その者には今後、教師は必要で無くなるだろうということです。何故なら、その法則が彼に生命を与え、、、そしてその法則はその者の教師になるであろうからです。私達が毎日用いており、知らずにいるその偉大なる宇宙普遍の言語は、雷鳴の深い響きの中でも私達に話し掛け、創造主の最も深い休息の沈黙の中でも私達と心通わせて来るのです。





【解説】

「フィーリングの衝動」というものが、自然界のあらゆるものを動かし支えている訳で、その莫大なる力を「聖霊」その他の言葉で表現されて来たものと思われます。その声は私達に生きるヒントを与え、私達自身、自分で気が付かない内に、その声を活用しているということです。

従って、このことを進めて行けば、私達には次々に必要なアイデア、助言が与えられ、また私達自身も何らかの形でその湧き起こる想念の塊を放出することで互いの意思の交流を図ることとなり、いわゆる生物・無生物を超えて心を通わせることが出来るものと思われます。

著者が言う「宇宙の因」とはそのようなフィーリング衝動の送り手であり、湧き出す源を指すものです。その為、私達がこのような宇宙の源泉と親密になれれば、他に師や書物は不要となり、宇宙の因から直接導かれる生活、即ち本項で言う「natural man(自然人)」になれるのです。


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