ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課 段落428 [2013-10-31]

428 That is why the Holy Writ says have no false gods before Me. For every form whether it be man or anything else has gone through many experiences and many changes. If we accept life eternal there is just as much eternity in the past as we look forth to in the future. That is why Jesus said, If I was of this world I would fight for it but I am not of this world. If he came to this world is it not logical that we all have come from someplace else? For He made it plain that in the Father's House are many Mansions. But the human mind as an effect cannot know this unless it submits itself to consciousness which is the keeper of the records. And when it does the revelations come.

428 それが聖典が、わたくしをおいて偽りの神があってはならない(訳注:365参照)、と言う理由です。何故なら、あらゆる形有るものはそれが人であれ、何であれ、多くの体験を経ており、多くの変化を遂げて来ているからです。もし、私達が生命を永遠なるものであることを受け入れるなら、私達が未来の中へ前方を見るのと同様に過去にも多くの永遠があることになります。それがイエスが、もし私がこの世界の者であれがその為に戦うでしょうが、私はこの世界の者ではないのです、と言った理由です。もし、イエスがこの世界に来たとするなら、私達全員もどこからか来たこととするのは論理的ではないでしょうか。イエスはこれを父の家には多くの館があると平易に説明しました。しかし、結果である人間の心はそれら記憶の保持者である意識に自身を委ねない限り、これを知ることは出来ません。そしてそれが行われる時、啓示がやって来るのです。





【解説】

自らの拠り所、信頼を寄せる唯一の対象は意識でなければならず、その他のものは偽物であるということです。

私達自身も過去生も含めて様々な体験を積んでおり、変化し続けている訳で、それらの経験を活かすことが出来れば、今後の進歩にもつなげられる筈です。しかし、私達の感覚心はそのような記憶力がなく、それらの記憶は意識に頼る他ありません。

また、各自の人生の遡りは、地球以外にも及ぶ訳で、その地で自分が見た光景だけでも思い起こせれば随分と視野も広がるものと思われます。

いずれにしても、記憶は各自の意識の中に所蔵されており、意識に自らを委ねてその扉を開ける時、各自に啓示が来るのだと説かれています。


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