306 And speaking of the by-ways - as consciousness is the sea of life everything is living within it. And as the Cosmos knows no beginning or ending, we are living in the embrace of a vast structure which has many interesting things in it, and our attention of interest will shift from one thing to another. This could be likened to standing on the top of a very high tower. While facing east things will be seen that are in that direction, and to the west, the same, etc., etc. So when the sense mind is interested in conscious perception it will want to see everything within the household of consciousness. This could become a hazard, for this hunger for knowledge could promote impatience, and confusion would be the result. So the mind must learn self control. And remember it has eternity in which to learn. With this awareness it will gain knowledge step by step in the sequence of events. And there will be no gaps or divisions that cause divisions and mysteries. The interest of the mind should be of such a nature that time is not involved, only learning what each step has to offer. Then when it is time for the next step to be taken the blend will be there without any foreign element that could come from the mind.
306 脇道について言えば、意識は生命の海であり、あらゆるものがその内側にあります。宇宙には始まりも終わりもありませんので、私達はその内側に多くの興味深い物事を持つ広大な構造物に抱かれて生きておりますが、私達の興味は一つのことから他のものに移り変わるものです。これは一つのとても高い塔の頂上に立っていることになぞらえるでしょう。東を向けばその方向にあるものが見えますし、西を向けば、また同様等々です。そのように感覚心が意識的知覚力に関心を持つようになると、心は意識の家庭の中にあるすべてを見たがることでしょう。しかし、これは危険要素に成り得るのです。何故ならこの知識への渇望は性急さを助長し、結果として混乱が生じるだろうからです。ですから心は自制を学ばなければなりません。そして学ぶべきものには永遠があるということを覚えていて下さい。この自覚を持てば、出来事の一連の流れの中で一歩一歩知識を得て行くことでしょう。そしてそこには分裂や神秘を引き起こす如何なる割れ目や仕切りはないことでしょう。心の興味は時間には巻き込まれず、只一つ一つの段階が授けるべきものを学ぶという性質のものであるべきなのです。そうすれば、次なる段階の時期になった時、心から来る無関係の要素が入り込むことなく、融合が起ることでしょう。
【解説】
一度に学べることは一つということです。しかし、私達は興味本位から自らの許容範囲以上の事柄を知ろうと知識・情報を求めたがるものです。しかし、その結果は、一つ一つの知識の意味を学ぶことなく、単なる心のレベルの浅い理解の知識に留まるか、それら知識同士が矛盾するように思って、混乱し、全てを放棄するのが常なのです。
この宇宙問題も1952年11月20日のコンタクト以来、多くの人々を引き付けては来ましたが、年月が経過するにつれ、宇宙兄弟達来訪の真の目的を理解し、その教えを実践しようと志す人は、今では世界広しと言えども限られているように思われます。
心は本項に記されているように新しい、即ち自分が未だ知らない知識には興味があり、消化できる以上の材料を収集したがるか、或いは一切の関心を持たず、自らの習慣的生活の中に安住しているかのいずれかです。
結局、人生の成果としては、何が身に付けられたかということになりますが、身に付ける為には実践による以外にはなく、その為には少しずつ、一歩一歩の歩みしかないことになります。
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