ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落289 [2013-04-05]

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.

289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。





【解説】

土星旅行の帰還時の模様を述べた本項ですが、注意深く読むとその時の状況が良く分かります。即ち、この旅行は土星での惑星間会議にアダムスキー氏を出席させるために用意された宇宙船であり、そこには未だ地球人には教えられない様々な先端技術が装備されていたということでしょう。

従って、個別の装置について宇宙人側からの解説は行われなかったように思われます。本文中には「意識によって説明が与えられた」となっていて、宇宙兄弟達からの説明とは記述されていないからです。

しかし、奇妙な形をしている諸機械の機能も、心がじっとその観察を続けていれば、意識からその真相がもたらされることを本項は示唆しているという訳です。

私達地球人に対して、宇宙兄弟達は技術の一つ一つを丁寧に教えることはないように思われます。学び取り、自ら応用するのは地球人の責務であり、重大な岐路にもなる技術の導入についてまで介入することは宇宙の法則に反するということでしょう。核兵器の開発等、その典型です。惑星の事柄は原則、その惑星の住人が責任を持つ必要があります。この生命の科学についての原理は繰り返し教えますが、日常生活への実践応用は全く、各自に委ねられていることも同じです。


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