ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落285 [2013-04-01]

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.

285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。





【解説】

意識を中心に生活する際の究極の状況が本項で言う一体感なのだと思われます。互いが意識レベルで融合する時、両者は一体となり想念も自由に交流でき、互いが感じることを分かち合えることになります。

本項では船と船長の例が語られましたが、これは人と人なら尚のこと互いが一体となって同じ感動を得られることになります。詳しいことは分かりませんが、映画「アバター」では他惑星で住人達が生命の木を前に揃って祈りをする場面がありました。映画の中では何百という人々が一斉に同じ動作となって表現されています。一人一人が一つの細胞の役割を果たし、集団全体が一つの生命体を構成するようなイメージを伝えていました。

意識レベルで互いに融合することの中には、新時代に相応しいより高次な人間の生き方に通じる要素が備わっているように思います。土星旅行の場合、そのような高速度で宇宙空間を移動する為には、おそらく乗員の全てが意識レベルにおいても一体化する必要があったものと思われます。


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