ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落269 [2013-02-26]

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS

We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.

269 神の目、即ち意識

私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。





【解説】

折角、本来は美しく調和した世界に住んでいる私達なのですが、その世界(惑星)を支える精妙な因の部分についての見識や洞察力が衰えているため、見るべきものや知るべき事柄の内、半分しか見ていないと本項は説いています。

また、その原因は、私達の心が生命というものについて理解がなっていないからだと指摘しています。

分かり易く言えば、私達は物体を自分の目で見える波長や光量の範囲で形として見、自分の耳で聞こえる波長と強度の範囲内で音を聞き、自分の好みの味であるかどうかを舌で判断し、自分の好みの香りであるか否かで臭いを判定しています。その内容は実際の姿の半分も把握出来ていないという訳です。

実はその結果すら正当に評価せず、従来の嗜好の延長上にあるものを良しとし、他を受け入れ難いものとして分類する傾向にあるのです。しかし、本来の姿はこのような感覚が把握する以上の内容が生命体には詰まっており、その実像は印象を感知することで初めて把握されます。

あらゆるものに対する心構えとして、自分の心の反応と同時に、その存在の理解について自分の身近に居られる「意識」の助けを借りること、その存在を支えるより深い内容を感知できるよう、少しずつ自らを訓練する必要があるということです。


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