ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落149 [2012-08-15]

149 In order to clarify what we mean we can use the illustration of the creation of form when liquids transform into solids. A drop of water placed on dust will absorb the dust unto itself. And if a small amount of water is allowed to move slowly over dust it will absorb so much that the liquid vanishes and a mud ball takes its place. It is no longer liquid, but moisture that holds the dust together to form a sphere. Should there be enough liquid to absorb all of the dust that might be available there is no saying how large this sphere could become.

149 私達の意味するところをはっきりさせる為、液体が固体に変容する際の形あるものの創造についての例を用いることにしましょう。塵の上に載せられた一粒の水はその上に塵を吸収させます。そしてもし、小さな水玉が塵の上をゆっくり移動するようにさせたら、それは塵を最後には液体が見えなくなるまで吸収し、遂にはそれに代わってひとつの泥玉ができることでしょう。それはもはや液体ではなく、球体を形作る為に塵を繋ぎ止めている水分なのです。もしすべての塵を吸収するに十分な液体があれば、この球体が何処まで大きくなるか誰も発言することは出来ません。





【解説】

この項では、乾いた地面に滴下された水が泥玉の形成に利用される様子を示しています。個々の泥の微粒子を一つの泥玉の形にまとめあげているのが水ということになります。

ここで、これまでの講演記録等から分かるように、アダムスキー氏がこの泥玉(mud ball)と言う際には、実はこの泥玉に対し特別な意味を持って話されていることについて、申し上げねばなりません。

その内容は、この泥玉こそ、私達人間のエゴを象徴しているのです。つまり、自らは乾燥し、こま切れになった泥の塵でしかなかったものが、内部に「水」を持つことによって形あるものとなり、どんどん、その大きさを増長させて来たという訳です。

その結果、泥玉は自らが最初から大きな泥玉であったと勘違いして、自我を増長させ、自分は他の者とは違う存在だと主張しはじめることになるというものです。

このように、私達自身の出所を深く考えることによって、私達と他の存在との間にはほとんど大きな差異はなく、共通の結合力を持つ、創造主に起因する存在が働いていることを知ることがポイントです。


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