ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落117 [2012-06-29]

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.

117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをせず、私達はそれらを分割し分離して来ましたが、これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく汝の意志が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。





【解説】

意識を知ろうとする為に、これまでどれ程の努力が為されたかは知りません。しかし、結論的に言えば、イエスの時代から今日まで、私達地球人はこの面においてあまり進歩して来なかったのではないでしょうか。

東洋では「悟り」と表現され、覚醒とも言われる心境は、万物の内面にある活動する本体、即ち意識を知覚する状態ですが、いずれも各自が生涯を通じて自己開拓すべきテーマとなっています。

私達は自身の身体の中については、自在に意識を移動させ、また思い通りの運動を表現することが出来ますし、ある程度その「意識」について自覚することも出来ます。しかし、その一方で自分以外の創造物の内側についてはそのような目に見えない活動を感知することはほとんどありません。日常的には、目による外観の判定やその他感覚の判断から自分にとっての好き嫌いの対象物と見なしています。

本項は、意識を知ろうとする場合、相手の外形以外にその内部にある意識的な活動を同時に見抜くよう求めています。同乗記にも記述があるように、進化した他惑星人の感性はそうした物体の奥に流れる不可視なエネルギーについても知覚できるところに進化の源があるという訳です。


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