ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落109 [2012-06-18]

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.

109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。





【解説】

私達がアダムスキー氏の言う「意識」が分からないと言う問いかけに対して、氏は私達が死ぬまで止むことなく続けている呼吸こそ生命の呼吸であり、その証拠であると説いています。私の記憶では氏の別の講演の中でも「どんな大男でも呼吸が止まれば死者に化す」と述べていたことを思い出します。

誰にも無償で与えられる呼吸が、そもそも創世記の記述のように創造主から土(原子・分子)から創られた人間に与えられた生命力だと分かれば、誰もが自分達が生命の息に支えられ、創造主によって生かされていることが分かるというものです。

さて、本文ではもう一つ、人間が誕生した段階では何の恐れもなく、先入観を持っていないことを述べています。転生が真実だとすると、心はリセットされ、再び新しい人生を歩む訳ですが、心が疲れきって、肉体の維持もどうしようもなくなって最期を迎えた後、新たに人生が用意されるとすれば、死は悲しむべきものでなく、喜ばしいイベントであることが分かります。自然界において、個別に経過を追いかけると、生き物には生涯時間の限度はありますが、日々再生・復活が行なわれている為、常に生き生きとした生命活動だけが、世界中を卓越しているということでしょう。


第03課 段落108 [2012-06-15] <<  |  >> 第03課 段落110 [2012-06-19]