ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落068 [2012-04-11]

068 Another example for the sake of clarity. When King Solomon's Temple was finished he expressed a wish to have the man who had done the most in bringing about its completion, honored in a ceremony and seated in a chair next to his own on the Throne. All of the men of different talents presented themselves in clothing appropriate for the occasion, each hoping for the honor. But a blacksmith entered dressed in his working clothes. A burned apron and dirty hands from the forge, and seated himself in the chair. This caused a stir and complaint among the other men.

068 明確にする為にもう一つ例を挙げましょう。ソロモン王の寺院が完成した時、ソロモン王はその完成に最も貢献した者を式典で表彰し自らの王座の隣に座らせたいという希望を明らかにしました。様々な才能の持ち主が、各々その名誉を期待して、その場面に相応しい身なりで出席しました。しかし、ひとりの鍛冶屋が作業衣のまま入って来ました。仕事場から焼けたエプロンと汚れた両手のまま、その椅子に着席したのです。これは他の者たちの間に騒ぎと不平をもたらしました。





【解説】

ソロモン王に関するこの逸話は、私が調べた限り(http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi)では、旧約聖書の本体には、記載されていないようですが、有名な逸話としては伝承(http://edwardkarn.com/king-solomon-and-the-blacksmith/)されています。

とかく職業に差別感を持ちやすい私達に対して、この勇気ある鍛冶工は自分の身の危険を顧みず、自らが考える「平等」について主張したという訳です。

私達は服装や外観から良し悪しを判断しがちです。もし汚れた作業衣を着る者が劣等感を、美しく着飾った者が優越感を持つとしたら、自ら上下の差別、貴賎の差を認めることとなるでしょう。しかし、この逸話は、栄華を誇ったソロモンの時代に寺院建築の下働きを支えた職人に自分の技術に対する誇りを持てる程、技術レベルも上質なものとなったことをも示唆するものと言えます。いわゆる古代の中にあっても、今日に通じる一定レベル以上の文化・技術が当時、既に出来上がっていたことをも意味していると言えるでしょう。


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