ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落057 [2012-03-27]

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.

057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。





【解説】

それでは具体的にどのようにして感覚心を鍛錬するのかを示したのが本項です。

私達の心に対する教師は「意識」であり、その教えは印象によってもたらされます。しかし、その教師の存在も、その声もこれまで私達は掴みきれていない所に難しさがあるという訳です。

先ずは創造主に対し謙虚に、また自らの実態について客観的に観察することから始まる訳ですが、問題は次に因の領域からの印象を感受した場合にも、注意が必要だということです。

私達の心はせっかちであり、直ちに結果を求めたがります。しかし、与えられる有益な印象は多くの場合、すぐには私達の理解出来ないものも多い為、未だ完全に受信し切れていない間に、心が良否の判断あるいは更にその印象を元に勝手な空想に進むことを厳に慎まなければならないという訳です。

先ずは全てを受け入れて、その後、その印象が自分に何を伝えているかを考えることです。

インスピレーションは貴重な機会であり、二度とはやって来ない可能性もある訳で、私達はそのような因からの贈り物を大切にお迎えして、その印象に託された創造主の思いをしっかり受け止めることが重要です。


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