ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落056 [2012-03-26]

056 DISCIPLINE OF THE SENSES

How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.

056 諸感覚の鍛錬

諸感覚を鍛錬することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。





【解説】

先ずは本文中にあるdiscipline(鍛錬、訓練)の意味合いについてです。disciplineとは日本語で鍛錬や訓練とは、トレーニングの意味にもなりますが、何か練習して速く走れるようになったとかという意味のトレーニングではなく、子供や動物に躾けを身に付けさせるような意味合いで用いられます。つまりは、自らの感覚をより繊細、上質なものとすべく、躾けを行えとしている訳です。

しかし一方では、世の中には神秘主義的傾向を持つグループも多くあり、あまり未知なものに憧れ、一足飛びにその世界に飛び込むことには危険も多いのです。中には本物を教えるグループもあるでしょうが、その真偽を見分けること自体、容易ではないからです。その点、自らを実験台にして日々の暮らしの中で各々様々な工夫を行いながら、進める方が着実だと考えているところです。

さて、本項では感覚の鍛錬・訓練がテーマですが、例えば目が対象物を見る際、形ある結果物の内側について気付く以前に、実は通常の視覚自体、十分には対象物を把握していないことが分かります。

例えば、虫のスケッチ一つを描くにしても、私達の描いた画と、昆虫画の細密画家・熊田千佳慕(1911-2009)の絵とは、描写力において雲泥の違いがあります。熊田氏は虫を描く際にも、実に丹念に観察し、その後は対象物を見ることなく、あのような細密な絵を描いたとされています。「不思議なことに八十になってから目がよくなっちゃったんですよ。いままで見えなかったこまかなところが見えてきたのです。それでものをよく見るようになったんですね。」とは熊田氏87歳の発言です。(「熊田千佳慕 花と語り、虫と遊ぶ」 求龍堂,1998)

創造物一つ一つに対する尊敬と愛情があってはじめて優れた観察が出来るということでしょう。私達の感覚の訓練は同時に、私達の才能を拡げる意義も持っている訳です。


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