ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落049 [2012-03-14]

049 The most predominant individual is sight. The next predominant one is hearing. Then taste and smell. You may say here, what about touch? The touch could be called a nerve impulse reaction which is not a sense, but it gives a sense reaction to the mind. As each sense acts independent of the others, oftimes one will disagree with the others. i.e. The sight may perceive a beautiful flower but the aroma is very unpleasant to the sense of smell and it rejects it. So the unity of mind is already divided. The same is true with the other senses, for one may like something and another dislike it. And while this is taking place, as it has for ages, pain and an unpleasant existence is the result.

049 その内、最も支配的な者は視覚です。次ぎに支配的なのは聴覚です。次に味覚と嗅覚になります。あなたはここで、触覚についてはどうしたのかと言うかも知れません。触覚は感覚ではなく、一つの神経パルスの反応と呼ばれるようなものですが、心には感覚のような反応を起こさせるのです。各々の感覚が他と独立して行動する為に、時として一つの感覚が他と意見を相違することが起ります。即ち、視覚は美しい花を認識するでしょうが、その臭いが嗅覚にとっては大変不快であれば、嗅覚はそれを拒絶します。ですから、心の一体性は既に分断されているのです。他の感覚についても同様です。何故なら、ある感覚が何かを好ましく思っても、もう一方がそれを嫌うかも知れないからです。そしてこのことが起っている間、その結果として何世代にわたって、苦痛と不快が存在して来たのです。





【解説】

私達は各々自分の体験から、視覚が最大の力を持っていることは理解出来ます。文字や画像から情報を得たり、自分の進路を選択すること等、全て視覚が取り仕切っています。航空機や自動車の運転等、視覚が十分に備わっていなければ実現できないものも数多いものです。

しかし一方では、私達はあまりに視覚に頼りすぎる生活を送っていることも確かです。外見を重視することや他人の視点を意識した行動、更には自分自身の生き方を本来、一感覚に過ぎない視覚に依存する結果になっています。

元来、感覚は得た情報をありのままに伝えるだけの機能でしたが、いつしか感覚自体が十分な知識や経験もないまま、勝手に即断し、対象を裁く立場に自らを増長させて来たことに気付くことが重要です。

感覚は本来、生きる上で生命力に仕える為の存在でしたが、今や人間の主人公になり、横暴さを示していることが問題なのです。先日も電車の中で若者の一団がワイワイと話をしていましたが、彼らの会話が何と薄っぺらで、たわいの無いものであるかに落胆したことがあります。私達が支配されている四感覚の実力と正体を見定める姿勢から取り組む必要がありそうです。


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