ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落034 [2012-02-21]

034 Here you may say that you do not wish to follow blind faith. Yet to accomplish what you feel down deep within yourself that you can -- you must use it. For what is blind faith? When you were planning your house you were using blind faith for the house was not present as a finished structure of concrete and plaster. Whatever you do in your life is performed with blind faith, for you never know what the results will be in any act. Whether walking or riding or whatever you are doing you hope that all will be well, but you are never sure. In fact 99 % of our life depends upon blind faith. I leave the 1 % to past experiences, but even there you are not sure the results will be the same if repeated.

034 ここにおいてあなたは、盲目的な信頼に従がおうとは思わないと言うかも知れません。しかし、あなた自身の中の奥底であなたが出来ると感じていることを達成する為には、あなたはそれを用いなければなりません。何故なら、盲目的な信頼とは何でしょうか?あなたがあなたの家を計画している時、あなたは盲目的な信頼を用いています。その家はコンクリートとしっくいの仕上げられた構造物として存在していないからです。あなたが人生の中で何を成そうと、それは盲目的な信頼とともに成されます。あなたはいかなる行動においても結果がどのようになるかはわからないからです。歩いている、或いは乗り物に乗っている時、或いはどのようなことをしているにかかわりなく、あなたはすべてはうまく行くように願いますが、確信を得ることはありません。実際には、あなたの人生の99%は盲目的な信頼に頼っているのです。私は残りの1%を過去の体験に残していますが、それでさえ、あなたは仮に繰り替えしであったとしても結果が同じになるかどうかは確かではないのです。





【解説】

本項ではいわゆるBlind Faith(盲目的な信頼)について解説しています。物質的なものでなく、現象界に属さないいわゆる「意識」に絶対的な信頼を寄せることが、どういうことかを述べている訳です。従来、ややもするとFaithを「信念」と訳出して来ましたが、日本語の「信念」の中には、「我武者羅に頑張る」とか「心の意志を強調する」ようなニュアンスが含まれており、違和感があります。本項で著者が言うのは、もっと静かで信頼感を寄せ、何らの不安も感じないような状態、いわば信仰心とも呼べるような状態を意味しているのです。

さて、本文にあるように私達自身、実は日常的に盲目的な信頼感を活用しているところが重要です。つまりは改めて議論するまでもなく、私達は意識による指導を頼りに生きているという訳です。

しかし、そのままでは進歩はありません。日常、私達は改めて結果の世界の背後にある生き生きとした因の領域を感じ取り、そこからもたらされる印象を自分の生活に役立てることが重要です。

その為には、如何なる時も静かに印象を受容するよう心の状態を整え、その持つ意図をはっきり理解すること、またそれに従い応用した結果、得たものをはっきりと関係づけ、記憶することが大切です。どのような場合にどのような結果を得たかを記憶することによって、次なる機会にそれを応用することが可能になるのです。


第01課 段落033 [2012-02-20] <<  |  >> 第01課 段落035 [2012-02-22]