ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落030 [2012-02-15]

030 In observing the effect of forms we do not see the liquids or life blood, which we call sap in the tree, which flows through it making it a living thing. Nor do we see the roots in the depths of the earth and the work that they do in drawing energy from the earth unto themselves. Nor do we hear the molecules that make the form speak to each other in guiding it to the fulfillment of its purpose. This could be called the cause behind the effect.

030 その形ある結果物を観察する時において、私達は木の中の樹液と呼ぶ液体、生命を支える血液を見ていません。しかし、それは木の中を流れてそれを生き物と成しているのです。私達はまた、地表深くある根を見ることもありませんし、根が木々に土壌からエネルギーを引き出す為に果す仕事を見ていません。また、私達はその形有るものを構成する分子が互いにその形あるものの目的を果すために導く中で、互いに話しをする声を聞くこともありません。これは結果の背後にある因と呼べるものでしょう。





【解説】

前項(029)に引き続いて、樹木を例に因の領域についての具体例を解説しています。

このように外見には現れない所で、そのものの本質的な活動が為されていることが重要な所です。

また、同様に、他人から自分が見られる時、他人は私の表面の姿しか見ておらず、木々と同様、私自身の中を流れる血液や肉体の状況、更には現在の心境等、内側のものについてはほとんど知らないまま、外見だけで相手を判断していることになります。少なくても多少は自分自身については因なる部分は感じ取ることが出来ますが、他者についてはそのような感性が働いていないということでしょう。

このような事柄を合理主義の米国社会の中で説くことについては、様々な抵抗があったものと思われます。アダムスキー氏に関する伝記類を見ると、1952年のコンタクト以前から氏は同様の教えを人々に伝える活動をしており、コンタクト以降はそれらの教えを宇宙兄弟達から支持、確証され、その内容を深める上での指導を受けたことが分かります。

このような因への感性は、別名テレパシックな感知能力と呼ばれるものですが、地球でも人間以外の他の創造物は皆、身に付けているものと思われます。自然界に暮らす多くの生きものが来るべき季節や気象変化に対してたくみに備えるのも、こうした能力によるものでしょう。私達もこれらの能力を身に付ければ、もっと柔軟に生き抜くことが出来るものと思われます。


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