ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落026 [2012-02-09]

026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.

026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。





【解説】

このエゴに関して言えば、未だ私達自身、自分がエゴに支配されていることすら、十分には認識できていないようです。エゴによって支配されていることが分かるのは、何かに対して怒っている時、対象物を嫌悪している時、自分の尺度で相手を見下している時です。しかし、そのような場合以外にも、少しでも不安な要素があれば、心は動揺し、最悪の事態を想像しパニック状態に陥るのかも知れません。

このような状況に対して、どのように対処すべきか、本項では直接的には記述しておりませんが、その文脈の中にはいくつかのヒントが含まれているように思います。

その一つが「心」自体は結果物、即ち創造された側のものであり、そこには限界があることをまず認識せよという訳です。何らかの拠り所を心が求めたがる(「しるしを求めたがる」)結果、ますます不安定な袋小路に入り込むとう訳です。そういう意味でも目に見えるものを探すのではなく、目に見えないものを大切に取り扱うことが重要です。もちろん、印象、インスピレーションは裏切ることのない創造主からのメッセージである可能性大です。

また、とかく「心」を喜ばせるものには要注意ということもあります。五感を楽しませるものが必ずしも有益ではなく、有害であることも多いのです。私達が自己を発達させる上では時に自我の羞恥心を克服する訓練も必要です。自分の誇りを捨てて、他者に奉仕する中で得られるものも多いように思われます。自らのエゴとどう対峙して行くか、各自の工夫が求められています。


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