ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落002 [2012-01-05]

002 When we speak of life, we mean in every phase of life's expression. In plain -we are going to explore life.



002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。





【解説】

実は先日、機会があり、友人とトルコ旅行のツアーに参加しました。その中でコンヤというトルコ中部の文化都市で13世紀に活躍したメヴラーナ(正式な名前は「メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー」1207-1273)という以後、トルコの精神的な支えとなる思想家の足跡に触れることが出来ました。

日本では旋舞(回る踊り)の宗教の創始者という何か神秘主義思想のように思われがちな人物ですが、現地トルコではメヴラーナは今もって多くの人々から敬愛されている方で、文字通り人々の心の神の愛、人の愛を蘇らせた人物です。イスラムについて日本ではその中身について知る機会は少なかったのですが、今回のトルコ旅行で、モスクの中にキリスト教時代の壁画やモザイク画が残っている等、イスラムの寛容さについて初めて知ることになりました。

いずれ詳しくご紹介する機会もあると思いますが、その後日本で探し当てた本の中にメヴラーナを評したトルコの詩人クサクレクの言葉があり、本項に関連するため、一つご紹介しておきます。「私は思い知った。真の道とはすなわち神の探求である。これこそが真の技術であり、他は全て児戯に過ぎない」(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」丸善プラネット(株)、p.62(2006))

同様に「生命の科学」においても最も大事なポイントは、私達被創造物の最大の義務は、私達に授けられた創造主からの贈り物をよく観賞し、その内容を学ぶことです。生命を与えられた者は、まずその本当の価値を知っておく必要があります。世に言うように自分の命を粗末にしたり、折角の自分の才能を埋もれさせるなど、もったいない行為は、このご自身の中の宝物に気付こうとしないことに原因がある訳です。

私達、各自の中に潜んでいる才能や知識に気付くことは私達の義務でもある訳です。


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