ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第20章 段落232 [2011-12-06]

232 The space people will speak of nothing but the practical life - a life that is established upon earth, for earth is an integral part of the universe - a life that is livable here and now, for if there is to be heaven it must be established upon earth. No visitor from another planet has yet given any teachings that were impossible to live in this world; they all work according to the law of the Cosmos which is itself practical. They, as the wayshowers who have come before, will teach nothing that is mysterious or fanatical nor will they deal in emotionalism. They will speak of the unity of all life by the Breath of the Cosmic Father expressing through the forms made of the substance of the Mother Planet.

232 宇宙人達は実生活についてのことしか語ることはないでしょう。それは地球上で確立された生活についてです。何故なら地球は宇宙の統括された一部分であり、今日ここに生きて行ける生涯であり、もし天国というものがあるとするなら、それは地上において打ちたてられなければならないからです。他惑星からの訪問者は誰一人この世界で活かすことが不可能な教えを授けることはありませんでした。彼らは全て、それ自身実用的である宇宙の法則に従って働いています。かつて訪れた導師としての彼らは神秘なものや狂信的なものは何一つ教えることはありませんし、過激な感情を授けることはないでしょう。彼らは母なる惑星の物質から作られた形あるものを通じて表現されている父なる宇宙の息吹による全生命の一体性について語ることでしょう。





【解説】

本項が「宇宙哲学」の本文の最後に記されている部分です。私達も含め全ての学習者が求める導師は、結局、一様に同じ内容を伝えることになると本項は述べています。過去、何世紀にわたって地球には多くの教師が訪れ、私達にポイントとなる基礎知識を伝えて来たのです。

しかし、私達はとかく「奇跡を起こす」ような能力者に惹かれ、またそれらの者の言いなりになる道を選ぶ一方で、これら地道な教えには興味を示さないでいます。その結果、巷では神秘主義(サイキック)が流行し、空想に基づく娯楽が増える一方で、本当の意味で因について学ぶことは行われていません。

本項では他惑星人は仮にコンタクトしても個々人に対応した具体的な生活指導を行うとしています。私達が生きる人生に役立つ基礎知識しか授けることはないという訳です。

私自身、残念ながら、こうした宇宙人から直接指導を受けるような場面に出会うことは今までありませんでしたが、いくつかの場面で助けられたことはあるように思います。

随分昔の話になります。若い頃、米国に行った際、丁度、中西部の飛行場で便の乗り継ぎの場面でした。西海岸から乗って来た便から荷物を引き取り、広い空港ロビーをうろうろしながら次の航空会社のカウンターにようやくたどり着くと大勢の人だかりでした。乗るべき便名の欄に「Cancelled」の表示。実は、当時、この表示が何を意味するか、分からなかったものです。やがて現地が雪で飛行機が飛ばないことがわかり、既に夜もふけている中、これからどうしたものか途方に暮れてしまいました。しかし、しばらくして一人の紳士が私に近づき、自分も同じ飛行機に乗る予定だったが、飛ばないのでレンタカーで行こうと思うが、一緒にどうかと私に声を掛けてくれました。私はこの申し出に感謝し、航空券の払い戻しを済ませた後、その男性が用意した車に乗り込み、陸路で目的地に向かいました。

今でも覚えているのは、真夜中、すっかり凍結した路面を手際よく彼が車を運転し、3、4時間後、私の滞在予定のホテルまで送ってくれたことです。彼自身は食品工場を経営しているようで、かつて日本にも行ったことがあると話していたことを記憶しています。

読者の中には、このような体験の中で、何処が宇宙人なのかと言う方もあるとは思いますが、ここで詳しくは語れませんが、その旅行の中で重要なポイントがその場面であり、私自身としては、まさに必要な時に手を差し伸べてくれたと今もって感謝しています。

実は、こうした私の対応は当時、今以上に不景気であった米国社会の中では一般的には大変危険な行為であったことが後から分かったのですが、支援を申し出た紳士を見た瞬間、私には何らの警戒心が起こらなかったのは事実です。私自身、当時、助けを受けたその人の身元を調査しようなどと思うことはなく、今日に至っています。

多くの皆様が、同様な体験を持たれているかとは思いますが、私達の側で他惑星からの訪問者を受け入れる態勢が出来ていれば、そのような機会も遠からずやって来るものと思っています。


































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