ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第19章 段落220 [2011-11-17]

220 "When the fruit is fully mature it is either picked from the tree, or it drops to the ground - thus it is separated from the parent. If the apple were like man it would exult in its own beauty and free-will, developing the self ego in the world of effects only, forgetful of the Cause parent.

220 「その果実が完全に成熟する時、それは木からもぎ取られるか、地面に落ちることになります。そのように両親から離されます。もしリンゴを人間とするとしたら、それは自らの美しさに有頂天になり、自由意志は自己のエゴを結果の世界のみに発達させて宇宙的な両親を忘れさせることでしょう。」





【解説】

本項の内容は私達一人一人について言えることです。私の出生の発端は何かを考える時、それは誤り無く一つの受精卵に遡ることは明らかです。そのわずかな受精卵から今日の肉体に分化し、発展を遂げた訳です。しかし、本項で言うリンゴの例のように、私達は自分達の肉体を成長させ、遂には誕生の時、その肉体に魂を吹き込んだ宇宙を貫く生命の衝動、更にはその英知なるものに何ら気付くことなく、毎日を送っています。

そもそも私の正体は何なのか、私の使命、創造の目的は何かについて、突き詰めて考えることはして来ませんでした。各々のリンゴが将来、そのリンゴとしての表現発揮が出来るだけの備え即ち種を身に付けさせ、十二分に成長を遂げた後に枝から落ちるように私達も受精の段階から生誕に至るまで十分な慈しみを受けて来ました。そして誕生の後は、肉体の両親による支援と各自の責任により、成人となった後は、各々の責任による更なる成長と役割の発揮が望まれているという訳です。

これら私達一人一人が何の目的で生まれ、今日存在しているかを考えて行けば、自ずと各々に対して宇宙生命から期待されている事柄に気付くようになるのではないでしょうか。

生誕から今日まで、ある意味、エゴの自立心の影響から放浪を続けては来ましたが、本シリーズを学んでいる私達は、ようやく真の目的に気付き始め、その道に一歩を踏み出しているところかと思います。


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