ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章 段落186 [2011-09-27]

186 The priests of the ancients were the only scientists of that day and whatever they achieved was used for selfish purposes of dominating character. It is said that they could prepare chemical substances which when used as incense would put an individual into a trance state, but what benefit was actually derived from such practice? No doubt there was quite a bit of benefit to the priests, for while their subjects were under such a spell they could be very easily relieved of all of their possessions and the act laid at the door of the most convenient gods.

186 古代の僧侶達は唯一の科学者でしたし、彼らが何を達成したにせよ、それは支配的性格の利己的な目的に用いられたのです。彼らは香料として用いられると個人を恍惚状態に陥れる化学物質を調製することが出来たと言われています。このような行為で何の恩恵が得られたのでしょうか。無論、僧侶には大変大きな恩恵がありました。何故なら彼らの臣民はこのような魅惑の下、容易に自分達の持ち物全てを捨て去り、その最も都合が良い神の扉に身を横たえたからです。





【解説】

今日でも類似した傾向がありますが、救いを求める人々に対して、様々な「能力」を誇示することで信頼を得て、遂にはやって来る人々から金品をせしめる輩も多いものです。まして、古代においては知識の少ない人々に対し、僧侶は知識において優位な立場にあり、人々を支配することも出来た訳です。中世の宗教は国家体制の一部でもありました。

これに対し、本項では触れられていませんが、誠実な真理の学徒も同時に居た訳です。キリスト教ひとつをとって見ても、民衆を支配する規範として国家体制の維持に使われる一方で、市街地から離れてひっそり建つ修道院の中には、ひたすら創造主と自分自身を見詰めなおす生活も続けられて来ました。「イエスに倣いて」(イミタチオ・クリスティ)はその代表作であり、修道士達が留意すべき事柄が丁寧に記載されています。

この宇宙問題についても同様で、真面目な取組みがある一方で、利己的な目的、更には妨害の目的を隠したまま近づいて来るものも多いように思われます。


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