ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第14章 段落153 [2011-08-02]

153 Relaxation is not inertia! A person may be very quiet and still not be relaxed. It is possible to be in a state of lethargy which may be interpreted as relaxation but such a condition is no more than the effect produced by loss of equilibrium which lowers the frequency of the body cells and puts them in a state of partial coma. Such a condition is to be avoided for it is actually destructive. Relaxation does not include the creation of a mental vacuum or the cessation of action. It is the means by which the mortal consciousness releases itself to the greater action of the Cosmos and therefore should not and cannot produce a dormant condition in any part of the body. If a person is not aware of a finer and more intense activity taking place within his being he can assure himself that he is not relaxed but has merely dropped into a state of indifference.

153 リラクセイションは惰性状態のことではありません。人はとても静かであってもリラックスしているとは限りません。リラクセイションと解釈されるかも知れない無気力状態もあり得ますが、このような状態は肉体細胞の振動数を下げ、それらを昏睡状態にさせるような均衡を失ったことによってもたらされた影響でしかありません。このような状態は避けなければなりません。何故なら、それらは実際には有害であるからです。リラクセイションは精神的空白や行動の中断を作り出すようなことは含み得ません。それは死すべき意識が自分自身を宇宙のより大きな行動に解放する手段であり、それ故、身体のどの部分にも休眠状態を作り出すことはありません。もし、ある人が自分自身の中により精緻で、より激しい活動が生じていることを感知しないのであれば、その者はリラックスしているのではなく、単に無関心の状態に落ち込んでいるに過ぎません。





【解説】

真のリラックスとはどのような状況かを本項では解説しています。とかく私達は日常のストレスが多い生活から一時的に逃れる為に静養と称してのんびりひと時を過ごす手法をとりがちです。そのこと自体は心身の過度の疲労を回復させ、静かな環境の中で過ごすことによって心身を癒す効果があることも確かです。

しかし、このように何もしない生活を続けて行くことが良いことではないと本項は指摘しています。全てのものに無関心になれば、何からも煩わされることなく、自分だけの世界に生きて行けるかも知れませんが、それは万物との相互関係を広げたい私達の生きる道とはハズレているということでしょう。その証拠に、定年を過ぎ、何もする仕事が無くなった後の多くの人達が急速に老化の道を辿る例が多いことがあります。

以前、本講座の本文(139)に私達を精密なモーターに例える表現がありましたが、私達の心臓が終始、動きを止めることがないように、私達自身の生命活動は中断ということはなく、従来の何もしない休養法は一時的、緊急避難的な位置付けでしかありません。私達はたとえどのような環境の中にあっても、自身の内部にある静かでより活動的な生命波動に心身を合わせて、疲れを知らない存在を保つよう、自我の余計な緊張を解放しなければなりません。自然界を見ても、何一つ静止し、活動を中断しているものは見当たりません。生命を終えたものさえも、速やかに視野から消えて行き、常に生きているもののみが自然界に存在しているように思えるのです。


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