ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第13章 段落147 [2011-07-25]

147 Success in any endeavor comes not through self-hypnosis but through self-control. The perverted will is the cause of all mortal suffering but that suffering cannot be permanently lessened by a mere suppression of the will through any form of hypnosis. The will and understanding must be united to produce a worthwhile life of service and accomplishment. Emotionalism can very easily produce illusionary effects and lift an individual into a temporary state of ecstacy but it will never bring about the regeneration of the mortal body or the changing of the ego-will to the cause-will which is necessary for an all-inclusive understanding of life and the cosmos. There is but one way, into the sheepfold and that is through the expansion of conscious awareness in the field of understanding and a systematic training of the will rather than the deadening of the will.

147 どのような努力においても成功とは自己催眠を通じてではなく、自己統制を通じてもたらされます。堕落した意志が全ての死すべき苦難の原因ですが、その苦難はどんな形をとるにせよ、催眠からの意志の単なる抑制からでは永久に緩和されることはありません。意志と理解は有意義な奉仕と業績の人生を作り上げる為に統合させなければなりません。感情主義は大変容易に幻想上の諸効果を作り上げることが出来、個人を一時的な恍惚状態に引き上げることが出来ますが、死すべき肉体の再生や生命と宇宙の全包含的理解に必要な自我の意志の因の意志への転換をもたらすものではありません。目的とする羊の囲いには唯一つの道しかなく、それは理解という分野における意識的気付きの拡張を通じてであり、意志を強めるのではなく、意志を系統的に訓練することによるのです。







【解説】

本項で表現されている「羊の囲い」は、私達が目指すべき目的地として述べられていますが、それは聖書で言う迷える子羊達を羊飼いが集める先にある囲いであることを意味しています。その囲いの中入ることが出来れば、より安全で安定した生涯を送れるという訳です。

さて、本項で度々出現する自己催眠(self-hypnosis)については、多少考える必要がありそうです。著者は単に催眠術について述べているのではなく、自己催眠と規定しているからです。「自己」という言葉には「自分で自分を」という意味合いがあるように思います。つまり、自我が自我自身を催眠状態にするという意味も含まれているように思うからです。古来から日本でも念仏を何度と無く唱えれば成仏するという教えがありました。その中身として念仏を唱えることで、自己催眠的な状況に陥るのであれば、本項に言う問題が発生することになります。

実は、さまざまな宗教の中には、こうしたある種の行を通じて、恍惚感を得る要素が多いのではないかと懸念しており、それぞれの主張は異なるものの、やっていることは皆同じということも考えられます。中でもある特定の人物に帰依することで、自己の意志を弱めてしまうことは危険だと著者は指摘しており、自我を無くすということだけでは良くないということが分かります。

それに対して、自我を自分で統制し、生命の包括的理解に向けて訓練することが最も必要だとまとめています。意思を強くするのではなく、拡げること、様々な分野を積極的に受け入れ、自分の間口を広げることを目指せと言っているように思います。


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