145 Some self-acclaimed Truth Centers are using this emotional hypnosis, induced by various methods. Innumerable individuals are testifying to healings but permanent healing or the regeneration of the body must be attained through an understanding of the conditions to be dealt with, and the execution of all actions must be taken in a free and conscious state of will. True faith is not a state of self hypnosis, it is a knowing, a willing of the personal ego will to the guidance of the All Intelligent Cause Will. The Will is the man and if the Will is restricted or held in dominance by another the individual ceases to exist as a thinking, reasoning being. Man must understand the forces of his being and control those forces to bring about the desired effects in his life.
145 幾つかの自称真理センターは、様々な方法で誘導される、この感情催眠を用いています。無数の個々人が癒しについて証言していますが、永続的な癒し或いは肉体の再生は取り扱わるべき条件を理解した中で得られるものであり、全ての行為の実行は自由で意識的な意志状態の中で行われなければなりません。真の信仰は自己催眠の状態ではなく、知っていることであり、個人的な自我の意志が全知の因意志の導きに喜んで従うことです。意志とは人そのものであり、もしその意志が他の者によって制限を受け、或いは支配下に捕捉されるようなことがあれば、その者は考え、推理する存在ではなくなります。人は自分自身の存在の諸々の力を理解し、自分の生涯の中で望ましい結果をもたらすようそれらの力を制御しなければなりません。
【解説】
著者は催眠術が危険であることを、様々な箇所で繰り返し述べています、いわゆる「宗教」を求める人々に対して、多くの団体が行っている祭事や行の中には、催眠を基本とするものも多いのではないかと、私も懸念しています。
結局のところ、それらに従った本人は、その意志をその団体の主催者の意志に支配されている訳で、本人の自由意志が望み、決定した事柄でない以上、仮に成果を得たとしても、その経験は本人に何の役にも立ちません。
一方で、私達は、その自由意志をエゴ(自我)の好き放題の世界とすることも誤りな訳です。悟りとは、自ら内容を理解した上でその意志を創造主の意志に従うという、極めて冷静な心の状態を必要とします。とかく私達は自我主体の生き方か、他の者の言いなりの生活かのいずれかに片寄りがちですが、真実は自我自らが自分を捨てて、自我の部分に創造主の意志を受け入れることと言うのだと思います。
悟りとは、静かに全体を見通す中で、自らを道具として創造主の表現者になり切っている状態を指すものと考えています。私達一人一人には大きな能力が備わっており、その力を本来の方向に発揮すべく、コントロールすることが必要だと本項は指摘しているのです。
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