ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章 段落130 [2011-06-29]

130 Neither heaven, the place of cause, nor earth, the place of effects, nor Jerusalem; symbolically used to represent the earth's inhabitants, can be called one greater than the other. These instructions were given against discriminating or calling one part better than the whole, Heaven and earth are not two but one, each expressing the other; man is no lesser for he is both, an integral part of the Whole. Divisions exist only in man's opinions when he calls one greater than the other, for in so doing he is judging and setting himself above the Creator.

130 因の場所である天も、結果の場所である地も、地球の住人達を代表させるべく象徴的に表現されたエルサレムもどれ一つ他のものより偉大だと見なすべきではありません。これらの訓戒は差別したり一部分が全体より優れていると見なすことに対して授けられ、天と地は二つの存在でなく一つであり、互いに他を表現しているのです。人は劣るものでなく、両方の存在、全体の統合された部分であるからです。区別は人が一方のものを他より、より優れたものとして見なす時の人の意見の中にのみ存在します。何故なら、そうすることによって人は裁きを行い、創造主より上位に自分を置いているからです。





【解説】

そもそも「天と地」、「善と悪」等々に区分すること自体に誤りがあるという訳です。以前にも述べられていたように、実際にはあるものがそのいずれか一方に属するとすることは出来ません。もちろん問題となるのは人の取扱いです。善人と悪人と二分することは出来ないことは容易に分かります。分けようとするのは「好き嫌い」を好む心の性質による訳で、様々なレベルが連続した中で各自が存在するということでしょう。

本項では更に進んで、因と結果物についてどちらが優れている訳ではないと言っていることが重要です。これまで因が大事と言って来たのは、従来の私達の認識の中に目に見えない因の要素が皆無であったからであり、決して結果物が劣るという訳ではなかったのです。優れた芸術家の魂を因とすれば、その作品である絵画(結果)も同様に、その抜き出た感性を表現したものでありますし、芸術家(因)が心を込めて表現した結果物が作品(結果)に表されていることは良く分かります。

ここでの問題は、私達の心が物事を全て「善悪」「美醜」に分けたがる傾向があり、それが自分(心)が創造主(因)の作品を勝手に裁いていることにある訳です。


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