ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第12章 段落127 [2011-06-24]

127 We find that students who have studied under one teacher or another are very confused and living in a state of dissatisfaction concerning the world they must call home. They are looking to the day when they will be privileged to become the inhabitant of another planet. They can see no beauty in this world, being conscious only of the pain and misery which exists.

127 私達はある一、二の教師の下に学んできた生徒達が大変混乱していて、自分達が我が家と呼ばなければならない世界に関して不満足な状況の中で暮らしていることに気付きます。彼らは自分達が他の惑星の住人になれる日を待ち望んでいます。彼らはこの世界に何らの美しさを見ることは出来ず、そこにある苦痛や悲惨さのみを意識しているのです。





【解説】

宇宙文明との関わりについての研究の場合、問題になるのは学習者はとかく自らの欠点はさて置いて、問題の原因を地球という惑星の状況や支配階層のみの問題に集約することだと思います。もちろん、そのような要素もあり、アダムスキー氏の言うサイレンスグループが活躍する場であることについては否めません。

しかし、そのこと以上に、民衆の一人一人の自覚の問題があること、また、一方では地球も神の創造物として十二分に美しいことも揚げなければなりません。

とかく教師達は、自分の生徒を引き付けて置くために危機感をあおったり、他のグループの欠点を指摘しがちですが、生徒は先ず、その教師の本質を把握して、自分を託せる相手であるかどうかを見極める必要があります。これはコンタクティーだと称する人間の出現についても同様です。そもそも真に教師たり得る人物を探すことは容易ではありません。

それよりは、各自自身の中に居る創造主とのチャネルの拡大を第一に考え、私達創造物に期待されていることを、日々実行する方がゴールに近い気がしています。


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